なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。
だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。
心はよろずの物よりも偽るもので、 はなはだしく悪に染まっている。 だれがこれを、よく知ることができようか。
彼は省みて、その犯したすべてのとがを離れたのだから必ず生きる。死ぬことはない。
彼は自分の不義があらわされないため、 また憎まれないために、みずからその目でおもねる。
しかしヨアブは王の命令を快しとしなかったので、レビとベニヤミンとはその中に数えなかった。
主はまたヨアブが血を流した行為を、彼自身のこうべに報いられるであろう。これは彼が自分よりも正しいすぐれたふたりの人、すなわちイスラエルの軍の長ネルの子アブネルと、ユダの軍の長エテルの子アマサを、つるぎをもって撃ち殺し、わたしの父ダビデのあずかり知らない事をしたからである。
人をさばくな。自分がさばかれないためである。
弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう。
自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。
また小さい魚が少しばかりあったので、祝福して、それをも人々に配るようにと言われた。